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今昔ものがたり

ばねの話 今昔ものがたり

今を去る五十有余年前、旧東海道は往時のおもかげを残し八ツ山橋には、紀ノ国屋文左エ衛門のみかん船も目標にして江戸に入ったといわれる大銀杏が枝を広げ、旅籠の焼印の残る下駄、その当時の防波堤、和菓子屋さんには花かんざしの娘さんが店番をして居りました。

昭和十一年六月、その当時の工場誘致で、創業地、本所菊川町より前工場、東品川に移転して来ました頃は、まだ珍しい「埋め立ての・・・」という言葉で所在がわかりました。

前が広い海苔干し場で、朝早く旦那さんがリヤカーを引きおかみさんが後押しをして来て、何千枚の海苔を広げ夕方には又、取り込みに来て、一枚の不足もなく、それが当たり前の時世でした。子供達には絶好のかくれんぼの場所でもありました。

親方(当時は社長とはいいませんでした)の「今日は早じまいにしよう」の一声に皆大喜びで走りながら作業着を脱ぎ岸壁から海にとび込みひと泳ぎしました。

岸壁には四ツ手綱、少し沖合には海苔しびが並び、時にはバケツに入れると、取っ手にハサミが届くほどの渡りガニも取れ、ふな虫の動きを見ていると飽きる事がない生きるものの自然の動きが感じられる時代でした。

その埋立地も半世紀を過ぎますと、また、一里以上も先に新しい埋立地が出来、従来の埋立地は都心の一部に変わってまいりました。今日また、その埋立地の先端、城南島に工場を移転し、五十年という歳月は世の中の生き方の流れを見る思いがいたします。

岸壁には四ツ手綱の代わりにクルージング・シンフォニー号を眺め、頭上にはジェット機が飛び交います。また、五十年先には、この地も内陸になり地図上の東京湾は、又狭くなるのでしょうか。人間の偉大な力を信じ、自然の恵みに感謝して頑張りたいと思います。

平成三年三月十五日
城南島工場竣工に際し  大和発条